その経典に込められた意図などをじっくり解説するNHKの番組(各1時間、全六回)で、
宗教学者の阿満 利麿(あま としまろ)さんの話を聞いてるんだが、
わざわざ1000年前の日本の仏教のメインストリームと袂を分けてまで?あえて特異な概念を提唱していて
それが
「お前みたいなどうしようもないヤツ*1のために、何ができるかってことだけ考えたらこういう理論になったんやで〜はよ〜こっち来いや〜」と言われてるようだった。
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それほど今日考えていたことと近い結論を出していた。
というのも、最近とある人のブログを生きる頼り(細い糸みたいな一筋の希望の光のようなイメージ)にしていて、
そこには彼女の過酷な人生遍歴をたどる自叙伝も含まれているんだが、
それを読んで、どうしても考えざるを得ないことに思いを馳せているうちに「人間の実像について諦めなければならない」と思うようになった。そこに重なるように、同じふうに捉える話が舞い込んできたわけだ。
*1:複数の重なり