私、ボンベが今日あったことを書きます。
朝8時ごろ、回覧板を久ッッッ々に出しに近隣の家へ寄ったついでにお天気の散歩を決行していた。
スマホも持たずに外に出るのは珍しい。服も着替えずに部屋着のまま出ていく。なるようになれ。それが最近のひきこもりボーイの心情だった。
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朝登校する地元中学の生徒たちを見かける。
割と嫌いじゃない。若さは希望だからだ。
別にいじめられたとかそういう思いを学校に持っているわけではない俺は、他の人より呑気なのかもしれないけど。本当に地元の中学に通っていたなら、そういう視点では思春期の少年少女を見れないのかもしれない。
それでも彼らへの心象がいいのは、単に僕が「先輩」という立場に憧れているからかもしれない。
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そういうプラスの印象もある一方で、どうしても譲れない心のしこりがあった。
私が制服を着ていたのは人生で半年間だけ。ほとんどの期間を私服で生きてきたことになる。
それゆえ、制服を着ている人を見ると「自分とは違う、どこか遠い存在集団」というイメージを持ってしまう。
ポカリスエットのCMをみて、否応なくそう思ったりした。(たまたま散歩に出る前に見ていた)
彼らは「制服」という形式で肩書と所属をもつ。気まぐれ散歩のオレはまるで老人ホームから歩いてきたジジイみてぇに何の後ろ盾もない存在(老人よりも無いかな)。
社会存在としての自分に不安を感じ、心理的キョロキョロを払しょくできず、歩き始めて5分。ふと目をやるとの行き先に立ち止まっている中学生女子。
ああなんと、このままのコースをいけばその子とすれ違うではないか!
ほとんど問題はないはずだが、考えなくてもいいことを考え始めるのが悪い癖。
「俺は不審者」という自意識が俺には前々からあった。
そうでなくとも学生は怖い。とくに女子は怖い。
あの人たちもラジオで言っていた
「下校中の女子の群れが一番怖い」と。そう、ボンベの中の女子苦手意識がまさに炸裂せんとしていた!
「焦るな俺、相手は一人だ。群れではないし、怖そうな子でもない。じきに慣れるさ。」
そうは思ったものの彼の中に一端の感情が芽生えた。
「なんでこんなに下手に出続けないといけないんだろうか」と。僕だって主人公らしく諸手を振って我が道を闊歩したいではないか。
「それを願うなら、まず背筋をのばせい。」
寒かったせいか彼の背は屈んでいた。冷えた空気が服の裾から入らないように、腕を組んで歩いている。そのことが精神にも影響を与えていないとは言いきれまい。
今一度、自覚する。社会に対しての警戒を解いていない自分を。このままでは変われない。そのためにまず、目の前の女の子を対処しなくては。
しかし、どういう苦手意識なんだろうか。「女性」というものが分からないのもあるけど、今回は「制服人間」に絞って考えてみよう。
学校に行くやつ、会社に行くやつ、彼らは役割に順じて生きている。おれの場合はどうか。あてがわれた役割を蹴って意味不明休みの無限延滞中だ。
劣等感。罪悪感。制服人間たちを目にするとそんな感情が嫌でも思い出される。秋の陽照りが気持ちよかろうと、気分は暗く湿ってくる。
みんなは国家のOKラインの中。俺は国家のOKラインの外。ずっと「不正解のブザー」が鳴っている。聞こえないようにしてたのに。忘れようとしてたのに。こうやって外に出ると思いだしてしまうらしい。静かにしてくれよ、せっかくの散歩がこの音で台無しになるんだ。
人生の不正解から逃れられない。
どう肯定すればいい?
こんな俺を。
そのとき、発想の転換がボンベの脳内で起きた。自分で決めればいいんだ。それしかない。
国の常識にとらわれるな。時代の作法に惑わされるな。
俺は俺そのもので独立国と成って、ただ一人のための国家元首になろう。亡命だ。危険な国からの。一歩も動かずに認知だけで済む亡命。静かに散歩を楽しむための。
「今日からひきこもり国民の制服は、灰色の薄パーカーに黒のベスト(綿素材)とする」
ダサくてもいいじゃないか。制服は着ないけどご機嫌を着よう。高らかにハミング、腰はリズムを刻んでゆく。さあ面白くなってきた。
「これで他国との外交にもハリがでますな。」
爺長官の私は、私をそう励ました。まさにそうだ。この一時に私は変わったのだ。
制服人間たちへの敵対心もおおよそ必要ない。彼らは彼らの国をまもっている。
俺は俺の国のためにここにいる。
歩幅は広く表情は温かく、時に足取り勇ましく、そして朗らかに。
ステップを踏んだ足どりの男は、友人を待っているのであろう少女の横を軽快に通り過ぎていった。
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あとがき
長文自分語りが苦手なので、うまく書き続けられてよかった。また、この成功を分析して、次に繋げられたらいいと思う。