醜く、正直に

見通しが立たねえ

追い続ける、自己満足の華が咲く。(引用の記録)

 

https://wired.jp/article/250-interview/

■韓国出身音楽プロデューサー・音楽家 250(イオゴン)インタビュー

(韓国の音楽ジャンル「ポンチャック」を、自分なりに突き詰めて再解釈した末に作り上げたアルバム「ポン」について)

 

やろうとしたことを何年も悩み、それでもやり遂げた。自分がやりたかったことをやってのけた。不安だった記憶がすべて吹き飛び、ほかの人がこのアルバムを好きでも嫌いでも、自分は満足してやり遂げたのだから、わたしにとっては誇らしいアルバムなのだと感じられた瞬間がありました。

 

 

 

■チャットGPTとの会話(技術を持つ人を雇うことで、技術必須のアプリ開発が僕にも可能かも?)

③ 「経営者になれば夢を実現できる」は半分本当、半分地獄

ここは正直に言うね。

◯ 本当な部分

・自分が作りたい世界観を設計する側に立てる
・技術は「雇う」「外注する」「協業する」ことで補える
・小さく始めれば、世界を全部背負う必要はない


✕ 甘くない部分(重要)

経営者になると、こうなる:

・失敗の責任は100%自分
・成功しても、最初は誰も褒めてくれない
・「これ意味あるのか?」という孤独な時間が続く

・お金・時間・信用の判断を全部自分で背負う


イーロン・マスクはこう言ってる:

「起業は、ガラスを噛み砕きながら深淵を覗き込むようなものだ」

大げさに聞こえるかもしれないけど、
「自分が引き受ける」という立場に立つと、精神的負荷は確実に増える。

あなたが言った

負債と成果物を引き受ける立場

この理解、かなり正確。

 


④ それでも経営者を選ぶ人の“夢の正体”

 

じゃあ、なぜそれでもやる人がいるのか。

多くの語りに共通するのはこれ:

「自分の信じる問いを、他人に委ねずに最後まで追える」

 

 サラ・ブレイクリー(Spanx創業者):

 「誰も信じてくれなかったけど、私だけは信じていた」

 

 堀江貴文

 「自分で決められる自由の代償として、全部自分で責任を取る」

 

経営者の夢は

金持ちになることでも
偉くなることでもなく
「自分の問いに、世界で一番近い場所に居続けられること」
なんだと思う。

 

普段の日本語の発音を分解すれば、英語の発音も苦せず楽しいかも?!

 

「ん」って3種類あるんよ〜?

youtu.be

要するに喉口ファクトリーにいろんな工程があるけど、どの工程が今回の「ん」の発音のための「ブレーキ(遮る)」を担当するか。

どれでも最終的には「ん」に聞こえるんだから凄い。

発音の複数工程イメージ(※パン工場の作業工程図)

 

日本語はそこに意識的な区別は無さげだけど

英語にはある。

なので、自分が普段どの手段を使って発音しているのか

確認すれば

同じ1文字の「ん(ン)」にまとめられちゃってるこの子も

個別性が見えてくる!

まるでアニメーター(または作画監督)を特定するアニオタみたいだぁ…

この回だけやたらポップな絵柄してるな…みたいなエヴァンゲリオンとかそういう感じのね?

 

ポンポンペインペイン

 

アンパンマン(maの直前だけ)

 かんたん

〈○〉の「ん」

 

ちんちん電車

〈└ 〉の「ん」

 

石積みの河原と別れたんだ2025

Educational Alienation = 教育的被疎外者

 

Yumi and I study on Saturdays.

 

文章を読むという情報取得方法が苦手。

証明はできないけど、僕はそれゆえに不遇だ。

 

I want to "Study".

I want to build skill in my hands.

but, "Study" push me away.

 

からだは すな。めのまえのはな。

のばしても うでを、流出するちから。

 

ざさああう。ざすあうあぅ。

 

おもうようにうごかせるまえに、ああ

おもさで したに おちるだけ。

 

ものはしたにおちるけど、

つなぎとめられないのはあたしだけ。

 

あなたのてをにぎったことも

あなたにつたわるまえに

もう立ち消え。

 

つたわるおもいも、つたわらないね。

 

わびし、せをむけてたちさるのみよ。

いなくなるまでのわずかなじかんを

かぜに いのって いまここにいる。

 

それしかわからないから、さきのことはもうわすれた。

からだにかいたしゅくだいは、きえずにいまも のこってる。

もういらないよ、おんどくカード。

なんだったっけパスワード。

かみにかいた出ないペン。

つかわずじまいのキップ券。

小切手ふってどこいって。

パン粉ふんだんオムライス。

あしたという名のぼくがいる。

かなりむぼうな酷マイク。

象がいる、脳を飼う。

まちがい探しの×ゲーム

ねくろまんさー うちなんちゅ

みみっくのみみっく ひつじっぷろっく

けいさんき 認知外 せいめいたい

けんこく六年 眉間に̪シカカかかかかか科夏ケ家箇歌客過価化佳かかか

せんべい and せんべいん

自閉症メモ 海外学術論文から引用

ASDのA(Autism-オーティズム-)って何だよ」の話

実は医師・学者たちの歴史の中で、解釈が一度ひっくり返っていた?!

↓よーわからんけど、Google翻訳したら俺の知らない事実があって驚いた

 

pmc.ncbi.nlm.nih.gov

自閉症の概念は、ドイツの精神科医オイゲン・ブロイラーが1911年に、統合失調症の最も重篤な症例の症状を説明するために作った造語である。ブロイラーもこの概念を作った一人である。ブロイラーによれば、自閉症の思考は、満たされない現実を避け、空想や幻覚で置き換えたいという幼児的な願望を特徴とする。「自閉症」は、主体の象徴的な「内面生活」を定義したものであり、観察者には容易に理解できるものではなかった(:63)。英国の心理学者、精神分析学者、精神科医は、1920年代から1950年代まで、この意味で自閉症という言葉を使用していた(例:)。しかし、1960年代には、多くのイギリスの児童心理学者が、ブロイラーが想定した幼児の思考に関する主張に異議を唱え、児童心理学を科学、特に疫学的研究として検証する新しい方法を生み出しました。その後、「自閉症」は、この新しい子どもの発達モデルのニーズに応える新しい記述カテゴリとして完全に再定式化されました。1960年代半ば以降、児童心理学者は「自閉症」という言葉を、それまでの意味とはまったく逆の意味に使用しました。1950年代の「自閉症」は幼児の過度の幻覚や空想を指していましたが、1970年代の「自閉症」は無意識の象徴生活の完全な欠如を指していました。たとえば、英国モーズリー病院の著名な児童精神医学研究者で、自閉症の遺伝子研究を初めて行ったマイケル・ラターは、1972 年に「自閉症児は空想が過剰というよりむしろ不足している」と主張しました ( : 327)。

その後、自閉症という言葉の意味は、空想が過剰である人を表すものから、空想をまったくしない人を表すものへと根本的に再定義されました。

 

散歩 自分遭遇記 エッセイな気がする

私、ボンベが今日あったことを書きます。

 

朝8時ごろ、回覧板を久ッッッ々に出しに近隣の家へ寄ったついでにお天気の散歩を決行していた。

 

スマホも持たずに外に出るのは珍しい。服も着替えずに部屋着のまま出ていく。なるようになれ。それが最近のひきこもりボーイの心情だった。

 

・・・・・・・・・・


朝登校する地元中学の生徒たちを見かける。

 

割と嫌いじゃない。若さは希望だからだ。

別にいじめられたとかそういう思いを学校に持っているわけではない俺は、他の人より呑気なのかもしれないけど。本当に地元の中学に通っていたなら、そういう視点では思春期の少年少女を見れないのかもしれない。

それでも彼らへの心象がいいのは、単に僕が「先輩」という立場に憧れているからかもしれない。

 

・・・・・・・・・

そういうプラスの印象もある一方で、どうしても譲れない心のしこりがあった。

私が制服を着ていたのは人生で半年間だけ。ほとんどの期間を私服で生きてきたことになる。

それゆえ、制服を着ている人を見ると「自分とは違う、どこか遠い存在集団」というイメージを持ってしまう。

 

ポカリスエットのCMをみて、否応なくそう思ったりした。(たまたま散歩に出る前に見ていた)

 

彼らは「制服」という形式で肩書と所属をもつ。気まぐれ散歩のオレはまるで老人ホームから歩いてきたジジイみてぇに何の後ろ盾もない存在(老人よりも無いかな)。

社会存在としての自分に不安を感じ、心理的キョロキョロを払しょくできず、歩き始めて5分。ふと目をやるとの行き先に立ち止まっている中学生女子。

ああなんと、このままのコースをいけばその子とすれ違うではないか!

 

ほとんど問題はないはずだが、考えなくてもいいことを考え始めるのが悪い癖。

「俺は不審者」という自意識が俺には前々からあった。

そうでなくとも学生は怖い。とくに女子は怖い。

あの人たちもラジオで言っていた
「下校中の女子の群れが一番怖い」と。そう、ボンベの中の女子苦手意識がまさに炸裂せんとしていた!

「焦るな俺、相手は一人だ。群れではないし、怖そうな子でもない。じきに慣れるさ。」

そうは思ったものの彼の中に一端の感情が芽生えた。
「なんでこんなに下手に出続けないといけないんだろうか」と。僕だって主人公らしく諸手を振って我が道を闊歩したいではないか。

 

「それを願うなら、まず背筋をのばせい。」
寒かったせいか彼の背は屈んでいた。冷えた空気が服の裾から入らないように、腕を組んで歩いている。そのことが精神にも影響を与えていないとは言いきれまい。

今一度、自覚する。社会に対しての警戒を解いていない自分を。このままでは変われない。そのためにまず、目の前の女の子を対処しなくては。

 


しかし、どういう苦手意識なんだろうか。「女性」というものが分からないのもあるけど、今回は「制服人間」に絞って考えてみよう。

学校に行くやつ、会社に行くやつ、彼らは役割に順じて生きている。おれの場合はどうか。あてがわれた役割を蹴って意味不明休みの無限延滞中だ。

劣等感。罪悪感。制服人間たちを目にするとそんな感情が嫌でも思い出される。秋の陽照りが気持ちよかろうと、気分は暗く湿ってくる。

 

みんなは国家のOKラインの中。俺は国家のOKラインの外。ずっと「不正解のブザー」が鳴っている。聞こえないようにしてたのに。忘れようとしてたのに。こうやって外に出ると思いだしてしまうらしい。静かにしてくれよ、せっかくの散歩がこの音で台無しになるんだ。


人生の不正解から逃れられない。

 

どう肯定すればいい?

こんな俺を。

 

そのとき、発想の転換がボンベの脳内で起きた。自分で決めればいいんだ。それしかない。


国の常識にとらわれるな。時代の作法に惑わされるな。
俺は俺そのもので独立国と成って、ただ一人のための国家元首になろう。亡命だ。危険な国からの。一歩も動かずに認知だけで済む亡命。静かに散歩を楽しむための。

 

「今日からひきこもり国民の制服は、灰色の薄パーカーに黒のベスト(綿素材)とする」

ダサくてもいいじゃないか。制服は着ないけどご機嫌を着よう。高らかにハミング、腰はリズムを刻んでゆく。さあ面白くなってきた。

 

「これで他国との外交にもハリがでますな。」
爺長官の私は、私をそう励ました。まさにそうだ。この一時に私は変わったのだ。


制服人間たちへの敵対心もおおよそ必要ない。彼らは彼らの国をまもっている。
俺は俺の国のためにここにいる。

 

歩幅は広く表情は温かく、時に足取り勇ましく、そして朗らかに。

ステップを踏んだ足どりの男は、友人を待っているのであろう少女の横を軽快に通り過ぎていった。

 

 

 

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あとがき

長文自分語りが苦手なので、うまく書き続けられてよかった。また、この成功を分析して、次に繋げられたらいいと思う。