醜く、正直に

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ボンベとは何物か

豊かになって、その後生まれたこどもたちへ

あまりにも心に響きすぎたので。

 

異世界とは、植えた心の暴走をいつの時代も受け止めてきたのかもしれない。

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放送大学岐阜学習センター 平成17年度2学期 面接授業  内田勝岐阜大学地域科学部)
翻訳で読む18世紀イギリス小説 第1部 (2005年12月10日 10:00-12:15)
デフォーの『ロビンソン・クルーソー
引用文中の「……」は省略箇所、[ ]内は原文のルビ、【 】内は私の補足です。

 

https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/05/

 

([1]〜[16]省略)

 

[17]……十八世紀の冒険、観光のブーム一般に、倦怠からの逃亡という同時代の社会病理学的な一面がうかがえる。……。旅とはつまり刺激ないし突破の隠喩である。日常から身を引きはがす営み万般の。……。要するに「目先を変えたい」のだ。……。そもそもデフォーのロビンソン・クルーソーにしてからが、何やらいわれのない「衝動」につき動かされるままに母国を出て行く。ロビンソン・クルーソーからゴシック小説【『フランケンシュタイン』などの恐怖小説】中の人物たちまで、彼らはたえず、「火のような好奇心」にかりたてられている。こうした「衝動」「好奇心」の正体は、どうやら小説家たち自身にもはっきりとはつかめていない気配だが、実は不可逆的につきまとう己れの虚無を発見してしまった文明の、己れ自身からの逃亡に与えられた別の表現にすぎなかった。(高山『ふたつの世紀末』pp.18-9)

 

【国力が充実し、平和な日常が続く→退屈する(己れの虚無を知る)→目新しいものを求める(これまで見えなかったものを見ようとする)→未知の領域へ旅に出る→目新しいものを、できるだけたくさん手元に集めようとする】

 

【探検旅行も、博物学も、植民地主義も、近代科学も、啓蒙主義も、小説の流行も、そこから生まれてきたのかも。】

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[34]たとえば、いくら運んでも「満足」がない難破船からの悪無限的な搬出衝動。いくら築いても「安全」がありえない砦の建築衝動。それらの衝動は決して客観的に充足されることなく、むしろ目的・対象から遊離して主観的観念の自己閉鎖的回路の中を動き、さらなる「満足」「安全」観念を自己増殖させている。

出口なしでがんじがらめに固めた砦の中で怯えつつ、どうしているのか分からなくなっているロビンソン、それなのにさらにバロック的増築を続けてしまうロビンソンの中に、展望なき現代資本制・大量消費社会の中の我々の姿が見えないだろうか。そうした社会的現実から独立に無垢な読解があるとは思えない。観念の上に倒立して巨大な商品集積・流通を成形する現代資本制、その観念の回路を介して主体を産出・駆動する近代社会。その只中に巻き込まれてある奇妙な現実から逃避せぬ罪がらみの読み方こそが、近代的主体の根底にある循環的原罪を、孤立人が積み重ねその孤立人の上に積み重なる蓄積と建築の劫罰を、救済の不在の中での回心の挫折あるいは永続的回心という現代宗教イデオロギーのどん詰まりの回路を、我々に突きつけてくるのではないか。(同書、pp.12-3)

 

[35]物語の最初から最後までロビンソンは、海に、大地に、呑込まれるのではないか、獣に、食人種に貪り尽くされるのではないか、と恐れ続けている。つねにロビンソンは、何処からか侵入してきて至る所に偏在する他者によって、自己の存在を消滅させられるのではないかと恐れている。この物語は、ついに他者との相互交流をもちえぬ孤立人、外部との相互交通をもちえぬ閉鎖的内部の、恐怖の物語である。それは恐怖を克服してゆく物語でもあると同時に、さらなる恐怖を必然的に抱え込む物語である。我々は、筋立てという物語の表層の奥で鳴り響いているこの振動音を聴き取らねばならない。(同書、p.234)

【砦の中に引きこもり、何かに襲われるのではないかと震えながら、外を覗き見ているロビンソン。外の世界の人食い人種から見られることなく、こちらからは向こうを監視し、支配できれば、ようやく安心できる。】

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[36]【ロビンソンは孤独の中で熱病に倒れる。】
病気で倒れてから二、三日間、私はこういった【過去の生活を悔いる】考えでひどく悩んだ。……。私の思考は混乱していたが、罪の自覚が心に重くのしかかり、こんなみじめな状態で死んでゆくことの恐怖が私の頭を不安でいっぱいにした。こうした魂の混乱状態のなかで、私は自分の舌がなにをしゃべりだすかわからなかった。それはむしろ「主よ! 私はなんと憐れな人間でしょう。病気になれば、看病してくれるものもなく死んでゆくにちがいありません。いったい私はどうなるのでしょう」といった絶叫に近いものだった。すると涙がどっとあふれてきた。そしてだいぶ長い間、もう口がきけなかったのである。(デフォー『ロビンソン・クルーソー』p.125)

 

[37]【過去の過ちを悔い改め、神に祈ることで、孤独を克服するロビンソン。】
……私は前に述べた「私を呼べ。そうすればおまえを救ってやろう」【旧約聖書詩編』第五十編第十五節にもとづく】という言葉を、私がこれまで考えていたのとはちがった意味で解釈するようになった。……。私は自分の過去の生活を恐怖の念をもってふりかえった。自分の罪はものすごく恐ろしく思われ、私の魂は、私の慰めをすべて押しつぶしてしまう罪の重荷から救われることを神に求めたのだ。私の孤独な生活などというものは、もはやなにものでもなかった。孤独から逃げたいなど祈りも考えもしなかったし、この魂のことに比べれば問題ではなかった。(同書、pp.134-5)

[38]ロビンソンは全く成長しない。孤島生活部に、サバイバル百科・社会の経済的仕組みの体験学習、宗教的内省の深化があるように見せ掛けてあるが(そしてこのトリックにほとんどの読者は掛かってしまうのだが)、衝動を統御できず、浮遊・肥大する〈自我〉の病は、むしろ孤独の中で増大する。(岩尾『ロビンソンの砦』p.78)

[39]【他の人間が誰一人存在しない島を、完全に支配するロビンソン。】
 私と、私の小さな家族が食卓につくのを見たら、どんな謹厳な人も微笑せずにいられまい。そこでは、私は全島の君主であり、王であり、支配者であり、すべての家臣の生殺与奪の権を持っていた。私は彼らを絞首刑にすることも、臓物を抜き取ることも、自由を与えることも自由を奪うこともできたし、臣下にはただ一人の謀反人もなかった。