醜く、正直に

屋台『無限のチラシ裏』へようこそ。カラっと、スマートには到底かけそうもない投稿者のブログとなっております。お好きなものを、手に取ってご覧になってください。

ボンベとは何物か

社会学趣味が高じたら「家族学」になった(雑多記事)

最初の社会 至近の大きな他人

自明性を疑ってくれる人が多くないから、自分でやるしかねぇ

 

【愚痴のターン】

アダルトチルドレンの言説って、サイトや本で言ってる人は多いけど、現実世界で口にしてる人ってどれだけいるんだろうか。

俺はあんまり楽しめてないんだよなぁ。

YouTubeの検索窓に「アダルトチルドレン」って入れて出てきた動画群の顔ぶれをみても、どうしても見る気が起きなくてなぁ。

 

結局「特徴」だけ言われても、自分への診断 というコンテンツ(ワーク)にしかならなくて、なんか迫られてるようで辛い。

毒親の特徴にしてもそう。(まあこっちは飽きてるだけ?)

どうせなら戦い方(外交的にも、内面的にも)の方が面白いんだよなぁ。

ようは文学に寄せてほしい。自分語りをしてほしい。

専門家気取りの善人香水YouTuberの「(理論もあなたのことも)わかってますよ顔」が腹立ってしゃーない!

塾講師のまねごとみたいなことしやがってよー!ホワイトボードにカキカキとぉ…(わかりやすい図が嫌いなわけじゃなくてね、なんかお勉強文化だなって)

ーーーーー

フロイト最高!

親族掘りまくるとちゃんと結果として現れてるのが分かるの最高!

フアンテラ(俗称:メンタルヘルサー)はフアンテラと惹かれ合って子を成して、濃縮フアンテラと化す

そして流れが50年前から始まって、

今最近まで続く「8050問題」と俗に言われる

ひきこもり心境爆誕世代の限界パレードにたどり着いてると思う。

【母方の祖父の話】

そしてその、子世代たちを産んだ親が生まれてるタイミングってのが、結局戦争で1番日本人が生きるのに大忙しで、子どもの心に時間を割いていられなかった時期……かもしれないな〜と、今年なくなった祖父のエピソードを聞いてて思うわけよ。

祖父︰1942年生まれ 80歳没

父は身重になった妻を置いて戦地へ出向き、産まれた彼が3歳になった頃に帰ってきた父のことを「おっちゃん」と呼んでいた(ある時期まで自分の父とは認識していなかった)そうですぁ。

その生まれたあとも父が帰ってくるまでの間、疎開しないといけなかったり…?なんか落ち着かない環境だったのではないかと。母も病弱気味だったと聞いてますので、なにかとリスキーな橋を物心つくまでに渡ってきたのではないかと。

それが、日本全部のひきこもり問題に関係しているかはさておいて、まあ言いたかったんで書きましたけど。おほひょ

「不正解」あるいは「未開拓」な地に呼ばれたままの私

テーマ︰回避性パーソナリティ(障害)な私

回避性パーソナリティ障害は、拒絶、批判、または屈辱を受けるリスクのある社会的状況や交流を回避することを特徴とします。

www.msdmanuals.com

 

①常識なんかクソ食らえだ!群れの利益のためのルールに服従するような生き方したくねぇわ!不登校最高!(高3以降の私)

②でも、みんなから否定されるのが怖くてたまらないよぉ…でも本音の主張を隠しながら友達ごっこは続けられそうにないし…友達作れないな…

③なんでこんなに私は怯えてるんだ?

いつからこんなに人の目を気にして生きるようになったんだ?

④父親の「自分が一番正しい」的な振る舞いと

それを放牧して子どもに見せていた母

の影響は確実にあるのでは?

ASD+自己愛性パーソナリティ障害父親の悪影響 AC)

その影響から回復して、自分の思想・主張に相応の自信を

持つにはどうすればいいのか

そもそも、コミュニケーションの場が少なすぎないか

家庭でも 労働組織(会社)でも 学習契約(学校・大学サービス)でもない

自由な居場所がさ

とにかくこの父のいる場所に長居していてはいけない

この人と同居している中では、自分を愛せない

自分の人生について悩む隙間もつくれない

 

 

 

 

 

私の人生は正解主義でした

ずっと、正解の輪からはみ出した行動をしていないかどうかを気にして、生きていました

それに気づくきっかけになったのは

児童相談所の利用の折*1

職員からのリトルカウンセリングの結果として返された文章(児童の所見)に書かれていた

「彼は正解を気にする傾向が強い」みたいな一節でした

 

その頃はあまり気に留めていなくて

「まあ大体不登校気質の陰キャボーイなんて、

多かれ少なかれオドオドと他人の顔色をうかがって生きてるものだろうから、

そんなに珍しい話でもないだろうな」くらいの感じで、

深堀って探索できる内容とは思うほどのことはなく。

要するに気にも留めていない様子でした。

多分その職員さんから見ても、正解・規範・常識を気にする様子が目につく、そういう特徴を備えた子どもだったんでしょう。後述の家庭での育ち方に加えて、ビルドイン(俗称:gifted)の正しさへの凝り性も加わってすごいことになってるんだろうな。

だから、正しさが応答として帰ってくる状況では、まだ動けるけど。

正しさは自分の信念で照らしていく必要があったり(コンセプトストーリー創作活動ってだいたいそんな感じ?)

世間の正しさとは真逆の方向へ突き進んで突破した先にしか自分のそのままの心が存在できない命運があったりすると、途端に墜落する。(まさに不登校、不徴勤務兵の話)

この頃はまだ、今に比べれば

自分の身に潜む問題への解像度が低く、自明性*2への疑いが持てていない状態だったと言えるでしょう。

まだ15・16歳の頃ですかね。

 

ということで、私の人生は正解主義な気がしてきたのです

 

多分正解は父親が持っていたのでしょう

 

態度として「僕が正解、それ以外認めないぞ!」

そのようにして

水面下で威張り続けて(尊厳を保っていた)だけ

 

母ねぇちゃん(?)がそのイメージを明確に破壊することはなかったことで、

つまり、父親がなんと言おうと、自分の意見を信じなさい…とは伝えない教育方針だったことで、

私の中に流れ込むイメージは

「誰か他の人、場、大衆…の意見に"大正義! "や"誇らしさ"(あるいは安心)があって、

 そうでない感情をもったなら、それ自体が恥ずかしいことであるのかも…」ということになってしまった気がします。(回避性パーソナリティの完成)

 

しかしながら、当の父自体も

自分の考え・望むビジョンに従って人生を切り開いていったとは到底言えない生き方で、

あくまでも自分の親から言い聞かせられた

言いつけ(血縁的圧力)から逃れられずに生きている

不自由な長男。

不自由なAutist(ASD)でした。

 

わが父【大衆に従属した生き方をしながら、大衆のバカさを見下し続ける男】 のねじれ方

わが母【自分のほうがいろいろできると思ってるけど、そのことを隠して、旦那の機嫌を窺い、その都度 相手が不快にならないような自己像で立ち回る女】 のねじれ方

 

そんな彼らの生き方に浸り続けて、

背中を見続けて、僕は生きてきました。

両方本音を隠して生きている、妥協してここまで来た人たちなのです。(昭和だからか?)

 

そんな世界観・生き方と、下半身が繋がったままです。(比喩イメージ)

こんな文化を、かけ合わせてもまともに歩行に使える脚になるわけないですよね。それが僕の考えるひきこもりというものですよ。(両親の生き方をより強固に見習ってしまう)

両足分、ねじれが掛け合わされたポンコツの足でいけるところなんて限られてるんですよ。(比喩、自己憐憫

だからそのまま足の生育過程に疑問を抱くことなく、これが自分の本来的な人格なんだと思いこんでいたら、一生ギプスと松葉杖。もしくは介助者の肩がないと生き延びていけないでしょう。(回復する可能性を発見できずに生きていく危険性。人格障害という概念を知る必要性)

 

生き方は公教育の中で学べないですね。(脱・回避性パーソナリティ訓練!とかそういう視点はまだないから)

学校で「先生の言うことに反発する方法」は学べないし

 

今回傑作やな(他人に伝えられてるかは別)

「(多数派からは理解されないような)

 感情を抱いた時点で、恥ずかしさをおぼえる」というとことか、無意識的な意味で辛すぎるからなのか、身体にも波紋が広がって、呼吸運動がバグったりしたわ、咳き込んだ。(知らんけど)

 

【それでも「未開拓」あるいは「不正解」に呼ばれてしまう】

ここからは不登校ショック以降の

僕の奇遇なる人生で問われてきたことの話をする予定です

 

まだ正しくないだけ

 

It's just not accepted as true yet.

開拓者 北海道の大地 見晴らしても一人

孤独な土との戯れよ この土地全部独り占めよ

研究者だけど白衣ねぇ 作為はまずいか?

不自由との勝負に勝つ気ねぇ ことに気づいてない奴らどれだけ の数いるんかねぇ?

この世界観は俺だけのもの ってはずでもないはず分からねぇ

確かめたくても見えやしねぇんだよ 閉じられて見えない個々の家庭

暮らしがKrushする音もしねぇから

心音、視線に耳澄ませ

………

俺の登場に感謝せぇ(涙)

【サビ】

真っ昼間ァから暗いトーク くらいなぁ目のすわった叫 喰らいつくだけさ普段の様子 からあなたのすべてのしがらみ奥まで 下ってぃきたぃんだふかんなボウズ

【】

命賭け な崖 帰属に焦がれ

唸れ るだけ の気力も削がれ

腐れ 腐れ たる我が身に来たれ

一雫垂れよこの時の為

己ごと全部この世を穿て

勝ち負けを越えた仕合せの為

生まれた時代(トキ) 越えてオレら皆タメ!

 

*1:きょうだいのついででwiscかなんかを受けに行ったときに

*2:社会学でよく使われる用語・基本概念「自明性ってのを使ってみたくて…へへ

オーティストチルドレンへ(心の悩みをないがしろにすることが普通な人に育てられた子たちへ)

オーティスト:Autist とは、巷でよく知られているASDの関係の話である。

生活の中で障害が起きているかどうかにクローズアップするのではなく、あくまで、「脳の発達に違いがある」こと。その性質の個性に属している人であることを指して言うときに使われるっぽい単語。

英語圏ではよく使われてるはず。私調べ)

 

彼らの特徴として私が一番に上げたいのは

「他人が"水面下で何を考えてるか"ということを推察するのが極端に苦手である」という点である。

 

そしてこの要素に対策を講じないまま親として居ると、子どもの心理的発達に良い影響を与えることはないことはよくわかると思う。

だって悩んでても、悩みがあることすら全く発想にないから、言葉にして初めて「あ〜…なんやそんなこと思ってたんか! それなら早く言ってよ〜😄」といった反応が返ってくる。

子どもは「こいつホンマに僕のこと心配してんのか?」と疑心暗鬼になることは避けられないと思う。

 

 

【とくと見よ!私の育った環境の洗練されたクソを!】

今回約一ヶ月ほど母方の家に居候している。

クソ父親のいる生活空間で散々な目にあってきたので、逃れたいと思ったからだ。

母方の祖父は今年(2023) の5月に亡くなっており、祖母の独居暮らしだった環境に私たちが暮らしている。

(母はクソ父と元の家にいて、相変わらずクソみたいな生活に晒されている)

 

そしてようやく(祖母に対する)インタビューは深層にたどり着くことととなる。父のモラハラに耐え続ける我が母の、心理原理を育成した元ネタ存在である祖母が

 

そもそもどういう心理原理をもって生きてきたのか。そしてその理由(原因)がわかったのだ。

 

結論から言うと、彼女も、心理面で放置(ネグレクト)されて育った、4人目の子どもだった(5人きょうだい…つまり末っ子寄り)。

彼女の両親は、神社を経営しており、なぜか客に宿泊環境も提供していた。つまりず〜〜〜っと朝から晩まで客が押し寄せ続けているので、子どもの心理にまで配慮の手を伸ばすほど時間的余裕がないのだ。(ならなぜ子どもを追加で産むんだよ)

 

【】

ということで、我が父は祖父というガッツリAutistと、祖母という圧力家庭でひとりっ子で育った問題児の元で育ち。

我が母は、別にAutistじゃないんだろうけど、文化的に心に配慮の手を差し伸べられずに育ったので、後天的にAutistみたいになっちゃってしまったわけです。

そんな(生物学的Autist+家庭環境ゲボ)な父と

(生物学的定型発達←ココロ知らんぷり家庭)でつくられた母のもとに産み落とされた子どもが、正常な心理体制を得られるわけがないですよね。

うぇ〜〜ん…😭

 

という話でした。

報われないのはもうこりごりだよぉ〜

 

【全国のオーティストチルドレン(…カサンドラ症候群?)たちへ】

これから僕が活動していけるとするなら、心理的配慮を受けずに育ったことによる心の問題を軸に進めていくと思うので、よろしく。

もっと盛んになってほしい。

なぜなら、かの有名な『新世紀エヴァンゲリオン』だってそういう話だと思うから。

頑張っていこう!

 

ごめん、勢い(怒り、人生に対する虚しさ)で書いたから内容がすげー雑。

憂さ晴らしのために常用してるのがオナニーなんだけど問題ある?(と、見えない世間にぶつけるごっこ)

 

反抗期を受け止められないほど、過剰に対人関係の火種に奔走している母親がいると、こうやって公衆の面前に吐き出す人ができます。

ホントはしなくてもいいです。したくないです。応急的対処です。

……

……、だからロックなのか

だからステージで炊飯器の中にうんこするパフォーマンスをする必要があるのか

代理なんだ

反抗の宛て先が…

 

わかってきたぞ、ジャニスジョップリン(※うんこの人は違います)

 

オナニーか、アルコールか、過剰投薬か、そこらへんの選択肢の中で大事なものを削りながら生きるしかないだけ

健康にこだわりのある母親のカルチャーの影響下で育った少年が選ぶ必然性があったのが、

美少女の裸体からくる興奮をを脳内に埋め込んで

さまざまな「憂(う)さ」を洗い流す

という手段だっただけ

 

もうクルって死んでしまえよ

あきれる、鏡に映る自分

スクロールする左手 しごく右手

「なんでこんなことにしか救いを求められないようになったんだろう」とメタ視しながら、そのアホらしさとともに今日を過ごし切るしかないことを感じても

なんも

なんも

 

なんも

なんも

な い

バビロン平和ショー 森の中で響く銃声

昭和はまだ終わらない。平成を塗り重ねても、令和のメッキをつけても、あなたが継承しているのは、未だ竹刀と旗を甘く塗り替えた昭和の魂かもしれない。

残酷さはありありとこの目に映ってしまうわけで。

無力さは母に対しても感じる。

若いほうが救いがある、生まれ変わるって自己破壊だ。人から言われてやれるようなもんじゃない。

俺が布団から飛び起きて、階段をタッタカ降りて挨拶しに行きたくなる世界はえらくとぉくに。

まだ直視しない世代か、ぼくら。

……

…………

 

鬱蒼と茂るジャングル。竹槍と海老筒。

 

敗戦後も終わることのなかった死の恐怖。玉音放送の後にまだ響き続けるライフルの音。次々聞こえなくなる仲間の声。

 


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彼は、権力者の圧力殺処分から戦い抜いて、生き延びてこれたからこそ、わたしたちの前に表れられた。(1972年)。

客寄せパンダの裏側から、はみ出る強烈な違和感。

 

戦争は終わっていません。地下で処分されています。みんな信じたくありません。テレビの言うことが正しいです。

 

(僕:戦争を乗り越えるとはなんだろうか)

(  戦争に付き従ってしまう以外の方法なんてないじゃん…って言わずに済む方法ってなんだろうか)

 

「言えない言葉なんて無い」と言いなさい。これが本当の気持ちだろ?そうでしょう?

 

言えないなら口をつぐんでいろ。沈黙に伏しなさい。諦めるまで。受け入れるまで。みんなはもう受け入れているよ。個人で引き受けてくれている。

 

壊そうとするな、この栄華を。経済の成長を止めるな。お前のわがままに付き合っていられない。誰のための社会制度だと思っている?

 

お前は国民と名乗れるほどの努力をしたと言えるのか? 恥じらわずに地域住民の前で言えるのかァ?!

 

………………

 

100万を越える横井庄一へ。今はまだ「ひきこもり」という名付けに甘んじている人たちへ。

今でも日の下は、処理戦禍かもしれないわ。

または、軟禁、幽閉、閉鎖病棟、ガッチャン部屋。

 

君たちの声が、存在が…

虚栄を謳歌し続ける「ショー」の執行者たちには、都合が悪いんだよ。そこで黙ってうずくまっててくれないか。

 

君たちの居場所があるとすれば、聞き分けのいい「被支援者」としてだけだ。

くれぐれもプラカードを掲げたりなんかすることは許されないからな。

 

「かわいそうな人たち」として存在することだけ、許してやる。肝に銘じろ。お前たちは「下」だ。

従順にしておけ。人生の終わりまで。

 

この夢を終わらせてはならないのだ。

 

[横井さんという象徴関連]

カルテに真実…残留日本兵横井庄一さんのジャングル生活28年が終わった瞬間(中部日本放送ネット)

https://hicbc.com/tv/hazukashinagara/column06/

帰還兵の戦後 恥じ入るべきは誰なのか(信濃毎日新聞デジタル

https://www.shinmai.co.jp/feature/ayashiitv/2021/11/post-94.html

家庭で愛着が形成できなかったのなら、第二案は「チャムシップ(思春期の親友)」だ!【記事紹介】

https://wakaomo.kobe-c.ac.jp/post/26.html

 

そんな自己形成につながる、小中学生期の交流体験時代を送れましたか…?(小声)

 

なんとなく楽しい小学校時代だったが、親友というようなタイプはいなかったように思うなぁ。中学受験後に通った進学校的な中学も、そんな深い交流は持ててなかった気がする。

フリースクールでであった彼くらいかなぁ。それは中3の頃になるかな。

 

そんな自己観察のし直しの機会でした。(おわり)

 

(この用語「チャムシップ」は、精神科医名越康文のゲーム実況『OMORI』の最終回近辺でついさっき知りました)

未存の自己実現 ソロタイムに呼ばれし人はたぶん教祖でしかない

読んだ本の内容から、言葉を紡いでみるアソビ

…………

既存の自己実現なんて焼きまわし。

 

追い求めるのは、他者との比較からなる幸福感を超えた、身体から湧き上がる絶対的ヨロコビ。それは他者の目には無意味にうつるけど。そんなの関係ないよね!

 

感覚に直に作用する幸福は、人に頼っても得られない。自分でコンパスとともに探検のたびに出ることでしか得られない「ご馳走」なんだから。

 

みんなご馳走を得に、各地へ散ればええやん(ええやん)

 

未だ存在してないからこそ、ホントに自分のための自己実現さ!

 

(市場は既に売れている成功路線を子どもたちに要求する

…それはまるで売れ筋をなぞれと圧をかける漫画雑誌の編集部と、

自分の信じた価値を誌面に突きつけ、読者に届けたい漫画家との闘い のように)

 

■■■■


ワタクシは…

群れの教義に従えない≒自分の"納得"に正直すぎる

進学先としていた大学に理想を持っていたが、僕が持っていたイメージは時代によって低俗で凡庸に風化していったようで

唸るような若者の純な"アツさ"も、

人間愛と、深みのある器からなる教授たちからの"意図"も、

感じられなかったから。電波を受信できなかったから。

結局、ソロタイム(ひきニート生活)に移行した。

 

■■■■

 

進学校にある共同幻想

不登校児童をエデュケート(心の内在価値を引き出す)するはずの少人数組織の共同幻想

途中下車してきて

 

もっと優秀な人たちが集まっている高度な学問空間(ネット民が話題にするAランク大学ら)には、それ相応のトキメキのある共同幻想があるのかと思って、下車後の寂れた廃駅プラットフォームから山の向こうを想像していたが、

 

結局、(利益追求的、既存の自己実現志向の)群れの共同幻想にのまれた、型の中で泳ぐのが上手な同期の青年たちが育っているだけだった(気がした)。

 

■■

たとえ僕のようにバランスの悪い知的体質でなく、スムーズに階段を駆け上がっていける均質な体躯の学生であろうとも、時代を支配するつまらなさに飲まれてしまっていては、面白さを作り出せないのだろう。

日本に飽きてきた。

…………

 

そんな私は、まわりとズレて、孤独に信仰を作り上げていってるはず。

人恋しいからって、自分の身体から芽生えた(と信じる)世界観をかき消して群れの中でうまくやっていくなんて無理だ。不器用だし。

 

俺にはALONEスタイルがお似合いなんだろう。愛着障害気質はすぐにLonelinessな気分にさせてくるけどね。

 

だからまあ友だちは増えない。

同世代の活動者を発見しても、なんだか触手が動かない。

 

そういうことにしよう。ズレも俺ということで。

 

寂しい日々はまだ続くぜ

 

著者:名越康文

SoloTime〜ひとりぼっちこそが生存戦略である〜

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行く予定のイベント 相愛大学「宗教心理学」講座

https://www.soai.ac.jp/information/event/2023/08/nakoshi.html