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その3「うたがわない(疑わない)」。
「若者バッシングからの離脱を」というのが、今回の講演の結論です。なぜなら、バッシングの根拠の真偽について「疑わない」若者が多いからです。いわれなきバッシングに我慢していることすら自覚できていない若者も多いのです。
若者をスケープゴート(身代わり、生贄)にして、雇用劣化の責任転嫁や教育機会の格差が進んでいるというのが、講演を通して先生が訴えたことでもありました。これは、若者だけの問題ではなく、社会全体の問題といえます。
そして、社会の問題を冷静に認識して変えていくために世代を越えた学習・対話・連帯が今求められている、というのが越野先生からのメッセージです。
●●(アホ状態のクソみたいな、なけなしの感想)
・大人が育たないのは大変だよね もはや誰も育たないかったら大変よ おほほ
・疑い方をご丁寧に教育のレシピから抜いてくれちゃってるからね。親も社会のありようについて疑ってはくれないし。萎縮よシュクシュク!
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日本のかつての若者たちは必ずどこかでエネルギーを発揮していました。
団塊世代であれば、すごく政治意識が高く、政治にベクトルが向いていました。新人類・バブル世代であれば、消費に。団塊ジュニアぐらいからは就職氷河期になり、派遣社員や非正規雇用が増え、矛先が労働に。労働環境に憤る気持ちを強く持っていました。
しかし「さとり世代」に至っては、ベクトルの向かう先がほとんどなくなった、何に対してもエネルギーが向かない。若者であるということはどこかにエネルギーの向かう先、はけ口があるはずなのに、なくってしまった。若いのに悟ったような言動をとる人たちということで、「さとり世代」とネーミングしたのです。消費にも恋愛にも、車にもお酒にも関心が薄れ、あらゆる物にベクトルがなくなってきているのが「さとり世代」の特徴です。
●●感想
こんなみんなと生きていかないといけないのか・・・同級生たちみんなが、その上の世代からずっと「哀れ」が続いてたんだ。ず~っと降り注いでる。悪夢のサタデー。
2022/03/22 13:53