自分は〇〇が上手いんだ わはは
といった形式に落とし込むことで、自分をまた新たに発見したいと思いまして…
「そりゃあ ええこっちゃ、存分にやりなはれ」
そ〜です?
いや〜自分でもそう思いますぅ(照れ)
◆棚においてある本
その時どれだけ熱中しても、期間が開いた後に読み直すことが脳裏にチラついたとしても悪い印象しか出てこない
というのも偏見ですね
「どうせつまんないよ」「どうせ新たな発見なんてないよ」「どうせあの人は僕と違うんだ…」
「あー!誰も救ってはくれないんだー!」
…( ゚д゚)ハッ! イキスギ…ましたね
でもこうやって書くことによってようやく、自覚しながら自分の無意識を取り出して、
なおかつ それに対しての思考を発生させることができていくんですねぇ
面白いですねぇ ʘ‿ʘ
◆何かをインプットしてるとき(相手の話を聞いている も含む)
自分を見失う?のが上手い
相手の意見と、自分の意見を並行しながら、読み進めていくのが苦手なのかmmム…
いや、相手の意見に期待しすぎているのかもしれない。実りはホントは、その意見を自分の中に入れたときに起こる"反応"にこそ、宿っているのかもしれない
なのに、相手が「どんな素晴らしい発見を私に伝えてくれるのか」ばかりに気を向けてしまっている。だから、自分に立ち返って考える 時間を合間合間に挟むことなく、読み勧めていってしまうのだ。
そんな気が急にしたわ。ありがとう「書く機会」
◆書いている視覚の思考と、相手の顔を見て話してるときの思考…別の処理系統上にある?
もはや「〇〇が上手」とかそんな型がどっか行ってしまった。でも、書き始めたときは、どっか行くなんて想定していなかったので、面白い発見!…なのでヨシ(◡ ω ◡)。
今書いているときの脳内に浮かんでいる思考の風景?みたいなもの&書いている文章の画面。
それと比べて、全然誰かと喋ってるときは違う。もっといろんなことを恐れたり、振り回されたりしている。
てかなんなら、書いてるときも「いま頭の中に浮かんだ喋り言葉を、画面に打ち込もう」と考えてるだけの時もあるけど、何らかの風景が浮かびながらムクムクと何かを思っているときもある。
なんかこんなことを考えていると「俺(の脳)って、すげえいろんな場面でいろんな作業をしながらも思考しようと努めてるんだなぁ」と驚いた。
あと「フリック入力画面を見ながら、考える」のをやめたほうがいい気、が強く!してきた。
てか喋り言葉すぎへんか?書き言葉の習得とはなんぞや…?なぜいま喋り言葉で書くに至っている?………
あえてなのか?
いや知らんわい! さっきまでブログと本を読んでたけども…う〜ん知らん!
ほんで飽きるねん…。「思考」と「筆」の両の輪が、不揃いで、どちらかにしか荷重が向いてないんよ…
んなぁー!!