いままで色んな人が「自信」について語っているのを浴びてきたけど、自分なりになんだか面白いと思えたことを書く。
「これが私にとっての“楽しい”なのだ」と、自信を持って言えることは、結構人生を歩む上での台核となるんじゃないかな。
逆にそこが確定されづらい過去を紡いできたとも言える。
自分の 感覚 や 喜び (悦び) に常に疑いを持って生きてきたというか、信じられないんだよね。
「これを"楽しいッ!"って表現していいのか…?」
っていうことを抱えてきたわけだ。
なんかまだかけそうな気配はあるけど今回はここまでー。
では👐
ーーー追記メモ
数時間して、既に疑い始めている…
自分はさっき*1「本当に幸せを感じていたのか」ということを。
頭の中を流れる「もしかしたらそんなに幸せ感じてなかったかもしれない…?」と。
弱すぎる。外界の人間の様子に翻弄されすぎだ、悲しい。自分の楽しかった思い出も満足に守れないだなんて…ウゥ💧…
ーーーー後日の追記メモ
自分の人生の選択はそれでいいのか?
今目の前に提示されているのは、果たして本当に「最善の選択肢」と言えるのだろうか?
もしかしたら間違ってるんじゃないか?
ホントはもっと〈可能性のある〉〈成長が見込める〉〈合理的な〉〈正しい〉〈かっこいい〉〈幸福を掴める〉…そんな選択肢が
ホントはもっと
〈可能性のある〉選択肢
〈成長が見込める〉選択肢
〈合理的な〉選択肢
〈正しい〉選択肢
〈かっこいい〉選択肢
〈幸福を掴める〉選択肢
〈不幸から逃れる〉選択肢
があるんじゃないか という不安が頭から離れない。それが「自信がない」ってことと密接に関わってるのではないかという思いつき✌️。
自分の人生の文脈(性質、過去、宗教…大きな物語)からして、目の前の選択肢がどういう意味付けになるのか …それがわからない。
妥当性を感じられない。
だから、曖昧な決断しかできない。付和雷同、流されるまま、没個性、世人(ハイデガー兄貴)…な感じになっていくのかなって。
……
今回(06/03の追記分)は「好きなもの全部盛り盛りお子様ランチ」になってしまいました。僕の考えてきたことの集大成感がチョイとありますねぇ!
(実は。追記分を書くきっかけ)
となったのは、「宮台真司」兄貴の沼に本格的に浸かったほうがいいのかなぁ…どうだろ。ともんやり悩んでいたことです。
僕世間の視点では、彼はそのジャンルの界隈で独走し過ぎてて、誰もついてきてないので、なんだか偏ってそうで不安だったのです。
あと、著者をスライド移動して食べていけない(孤立してる)ので、自分で エイ! と踏み出さない限り、交われないのです。
なんかそんな感じです…🙃(伝えたい軸の喪失により脳停止)
では。
ーー↑の5分後にまた追記
そうだよ、うん。
つまりは「自分の人生をコントロールしたい」という欲求?に基づいてる臭ェよな?選択肢という発想自体が🤔
過去から現在、そして未来に向かって無数に広がる、樹形図のような「あり得たかもしれない」世界が、いま隣に舵を切れば行けるのかもしれないッ!ってな感じで。
主体の存在、そして責任。「自由意思」の存在の認定…そういう大きな土台の上に成り立ってる悩みとも言えるかもしれないね。
*1:アニメ 「ボールルームへようこそ」(2017年放送)をアマプラでイッキ見したのよね