ということに気づけたんですよ。
〜ここにその経緯を入力〜
したほうが、記事としては親切…だが俺はクズだ!書かねぇやい!どりゃ〜〜あ!
ということなので、芸術家に命をかけないことに決めました。承認欲求ゲームのプロゲーマーになります。
◆「承認欲求ゲームのプロゲーマー」とは?
対戦ゲームの隅から隅までをとことん突き詰め、追求の眼で観察し、理解し、自分の望む状況へ限りなく近づこうとするその意志を表そうとした、著ガキのクソダサネーミングです。
◆ここでいう「承認欲求とは?」
ここ以外でいう承認欲求に詳しいという自負は毛頭ございませんが、なんかみんな「いいね数」にかなり信頼を置かれているっぽいカルチャーが席巻してるみたいなんです。
そのカルチャーに対しての僕のスタンス…というか僕の“承認”味覚くんは、こう言います。
どこの誰とも知らない、バーチャルな存在が
ポチッと日常の隙間に押している(んでしょどうせ…)な〈いいねボタン♡〉の行動回数を電子計算機が計測し、モニターに表示されたものを見ても
「パサパサの雑草を白くてスベスベな洋食器に乗せられたのを出された」のと同じ程度の"微々たる感情"しか湧いてこない と。
もうね、やればやるほど心がカピカピになっていくんだよ!
Twitterは嫌いじゃ〜!
◆今までのココロ感想日記
ネットの発信に手を付け始めるまでの私の喜びは何処にあったのかを振り返ることがとても大事な気がしてきたなぁ
よ〜し、振り返ってみようじゃないか!
高校生時代。my世間で生活している中でどうしても惹かれていったことがあった。
「対話」だった。
なんて曖昧な言葉なんだろうか。それでもこれが美しいと感じてきた。
具体的にどういう生活をしてきたか。それはめんどくさいのでここでは端折るが…
僕は県立高校に3年通って、ひとりも友達できなかったんだぁ
でも問題なかった。だって僕は二重生徒生活だったから。どこに通っていたか。(あれ、この話って初出だったかしら…初出じゃないのに勿体ぶったら馬鹿みたいだから調べに行こうっと…)
◆「承認欲求」と「アタッチメント ディスオーダー(愛着障害)」の共通点