醜く、正直に

屋台『無限のチラシ裏』へようこそ。カラっと、スマートには到底かけそうもない投稿者のブログとなっております。お好きなものを、手に取ってご覧になってください。

ボンベとは何物か

今期アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」は昨日から僕の肝臓です!

わざわざ僕が書かなくてもいいんですけどね

 

というよりかは、この作品に「僕は僕を発見してもらった」ので、書くことがアニメを見させてもらってることの償い??みたいな文脈で捉えたほうがいいかもですけども

 

◆エントリタイトルの意味

要するに、僕にとってそれほど肝心なアニメだッ!ってことですね。

SonnyBoyくらい、録画済みの話をべたべたチュッチュと溺愛してしまうかも。

(といいつつ、考察アニメの味は強くないので、脳内で擦りたおす方がありそうですね。絵コンテ妄想がもう始まってますから、はい。)

 

いやぁもう完璧ですねほんとに。オープニングとか曲と映像のハーモニーはもうぼくの心の拠り所だよ。ここから毎日目覚めたい。

 

羨ましいよこれを手掛けられたと言える人に。

 

◆1話は見た、そしてこれから

ちょっとした不安?として有るのは

このアニメは「第一話」を放送できた時点で、ほぼ“役目”を完遂してしまっているのではないか?

ってことです。

 

なんの役目か

それは「視点(あるいは問い?)の提供」ですね。

これはあくまで僕側*1あるあるかもしれないんですが、新しい作品を見るとき、それがこれまでになかったものであればあるほど、最初に〈お楽しみ濃度〉がめっちゃ凝縮してるんですよね。

 

例を出すと、ナウシカの漫画版を読んだとき、全体からみた10分の1のページ数に、3分の1の時間をかけた

…って言ったら言い過ぎですけど、そのくらい読み始めたばかりのときは、ページをめくる度に身内にワクワクを喋り、驚き、問い、予想し、他の作品と比較し…をして楽しんでいたんですよね。

 

あとの10分の9の部分は、物語の流れに乗るだけって感じだったんですけど(多分もう予想の範疇を出たからついていくしかなくなったという部分も大きいよな…)。

 

それと同じ…?なのかはわかんないですが、僕が面白さを感じるのは多分「こんなのもありなのか!」っていう感動みたいなところに詰まってるっぽいので、このような意見が出てくるのかもしれません。

 

◆いや、

 

ちがうな…

 

よくよく「ぼっち・ざ・ろっく」1話を見た体験を思い返せば、僕が感動してたのは、前半10分間の主人公の「顔を合わせて会える“交流関係”を持てずにいる私 を直視せざるを得ない私 を意識する私」のパートだったんだよな、たしか。

自宅の押し入れの中で、自分の散々たる日々を振り返るオリジナルぶる〜す(詳しくなくてゴメンやで)をギター伴奏で歌うシーンとか。

そういう部分を強烈にキャッチーにえぐってくれる切れ味と、丁寧さがあれば私はもっとこの作品を好きになることでしょう。

今はそれしか言えねぇや!乙!

 

(やっぱり俺、スマホポチポチして文書いてるとき息できてないこと*2多いわ。長文がかけない。息継ぎ欲がそのまま→ペンを置くに繋がってしまうわ。)

(多分まともにTVアニメを紹介する記事なんて初めて書いたんじゃないかな…成長ですね。辿り着けました)

*1:ぼくのそくめん。誰かから同じ意見を聞いたことはやっぱりないが、単純な“ワタシ”のみに限定するのは心が寂しくなりすぎて辛いので、いまつくった。造語

*2:平野啓一郎さんがSWITCHインタビューで語ってたんよ