醜く、正直に

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ボンベとは何物か

「不正解」あるいは「未開拓」な地に呼ばれたままの私

テーマ︰回避性パーソナリティ(障害)な私

回避性パーソナリティ障害は、拒絶、批判、または屈辱を受けるリスクのある社会的状況や交流を回避することを特徴とします。

www.msdmanuals.com

 

①常識なんかクソ食らえだ!群れの利益のためのルールに服従するような生き方したくねぇわ!不登校最高!(高3以降の私)

②でも、みんなから否定されるのが怖くてたまらないよぉ…でも本音の主張を隠しながら友達ごっこは続けられそうにないし…友達作れないな…

③なんでこんなに私は怯えてるんだ?

いつからこんなに人の目を気にして生きるようになったんだ?

④父親の「自分が一番正しい」的な振る舞いと

それを放牧して子どもに見せていた母

の影響は確実にあるのでは?

ASD+自己愛性パーソナリティ障害父親の悪影響 AC)

その影響から回復して、自分の思想・主張に相応の自信を

持つにはどうすればいいのか

そもそも、コミュニケーションの場が少なすぎないか

家庭でも 労働組織(会社)でも 学習契約(学校・大学サービス)でもない

自由な居場所がさ

とにかくこの父のいる場所に長居していてはいけない

この人と同居している中では、自分を愛せない

自分の人生について悩む隙間もつくれない

 

 

 

 

 

私の人生は正解主義でした

ずっと、正解の輪からはみ出した行動をしていないかどうかを気にして、生きていました

それに気づくきっかけになったのは

児童相談所の利用の折*1

職員からのリトルカウンセリングの結果として返された文章(児童の所見)に書かれていた

「彼は正解を気にする傾向が強い」みたいな一節でした

 

その頃はあまり気に留めていなくて

「まあ大体不登校気質の陰キャボーイなんて、

多かれ少なかれオドオドと他人の顔色をうかがって生きてるものだろうから、

そんなに珍しい話でもないだろうな」くらいの感じで、

深堀って探索できる内容とは思うほどのことはなく。

要するに気にも留めていない様子でした。

多分その職員さんから見ても、正解・規範・常識を気にする様子が目につく、そういう特徴を備えた子どもだったんでしょう。後述の家庭での育ち方に加えて、ビルドイン(俗称:gifted)の正しさへの凝り性も加わってすごいことになってるんだろうな。

だから、正しさが応答として帰ってくる状況では、まだ動けるけど。

正しさは自分の信念で照らしていく必要があったり(コンセプトストーリー創作活動ってだいたいそんな感じ?)

世間の正しさとは真逆の方向へ突き進んで突破した先にしか自分のそのままの心が存在できない命運があったりすると、途端に墜落する。(まさに不登校、不徴勤務兵の話)

この頃はまだ、今に比べれば

自分の身に潜む問題への解像度が低く、自明性*2への疑いが持てていない状態だったと言えるでしょう。

まだ15・16歳の頃ですかね。

 

ということで、私の人生は正解主義な気がしてきたのです

 

多分正解は父親が持っていたのでしょう

 

態度として「僕が正解、それ以外認めないぞ!」

そのようにして

水面下で威張り続けて(尊厳を保っていた)だけ

 

母ねぇちゃん(?)がそのイメージを明確に破壊することはなかったことで、

つまり、父親がなんと言おうと、自分の意見を信じなさい…とは伝えない教育方針だったことで、

私の中に流れ込むイメージは

「誰か他の人、場、大衆…の意見に"大正義! "や"誇らしさ"(あるいは安心)があって、

 そうでない感情をもったなら、それ自体が恥ずかしいことであるのかも…」ということになってしまった気がします。(回避性パーソナリティの完成)

 

しかしながら、当の父自体も

自分の考え・望むビジョンに従って人生を切り開いていったとは到底言えない生き方で、

あくまでも自分の親から言い聞かせられた

言いつけ(血縁的圧力)から逃れられずに生きている

不自由な長男。

不自由なAutist(ASD)でした。

 

わが父【大衆に従属した生き方をしながら、大衆のバカさを見下し続ける男】 のねじれ方

わが母【自分のほうがいろいろできると思ってるけど、そのことを隠して、旦那の機嫌を窺い、その都度 相手が不快にならないような自己像で立ち回る女】 のねじれ方

 

そんな彼らの生き方に浸り続けて、

背中を見続けて、僕は生きてきました。

両方本音を隠して生きている、妥協してここまで来た人たちなのです。(昭和だからか?)

 

そんな世界観・生き方と、下半身が繋がったままです。(比喩イメージ)

こんな文化を、かけ合わせてもまともに歩行に使える脚になるわけないですよね。それが僕の考えるひきこもりというものですよ。(両親の生き方をより強固に見習ってしまう)

両足分、ねじれが掛け合わされたポンコツの足でいけるところなんて限られてるんですよ。(比喩、自己憐憫

だからそのまま足の生育過程に疑問を抱くことなく、これが自分の本来的な人格なんだと思いこんでいたら、一生ギプスと松葉杖。もしくは介助者の肩がないと生き延びていけないでしょう。(回復する可能性を発見できずに生きていく危険性。人格障害という概念を知る必要性)

 

生き方は公教育の中で学べないですね。(脱・回避性パーソナリティ訓練!とかそういう視点はまだないから)

学校で「先生の言うことに反発する方法」は学べないし

 

今回傑作やな(他人に伝えられてるかは別)

「(多数派からは理解されないような)

 感情を抱いた時点で、恥ずかしさをおぼえる」というとことか、無意識的な意味で辛すぎるからなのか、身体にも波紋が広がって、呼吸運動がバグったりしたわ、咳き込んだ。(知らんけど)

 

【それでも「未開拓」あるいは「不正解」に呼ばれてしまう】

ここからは不登校ショック以降の

僕の奇遇なる人生で問われてきたことの話をする予定です

 

まだ正しくないだけ

 

It's just not accepted as true yet.

開拓者 北海道の大地 見晴らしても一人

孤独な土との戯れよ この土地全部独り占めよ

研究者だけど白衣ねぇ 作為はまずいか?

不自由との勝負に勝つ気ねぇ ことに気づいてない奴らどれだけ の数いるんかねぇ?

この世界観は俺だけのもの ってはずでもないはず分からねぇ

確かめたくても見えやしねぇんだよ 閉じられて見えない個々の家庭

暮らしがKrushする音もしねぇから

心音、視線に耳澄ませ

………

俺の登場に感謝せぇ(涙)

【サビ】

真っ昼間ァから暗いトーク くらいなぁ目のすわった叫 喰らいつくだけさ普段の様子 からあなたのすべてのしがらみ奥まで 下ってぃきたぃんだふかんなボウズ

【】

命賭け な崖 帰属に焦がれ

唸れ るだけ の気力も削がれ

腐れ 腐れ たる我が身に来たれ

一雫垂れよこの時の為

己ごと全部この世を穿て

勝ち負けを越えた仕合せの為

生まれた時代(トキ) 越えてオレら皆タメ!

 

*1:きょうだいのついででwiscかなんかを受けに行ったときに

*2:社会学でよく使われる用語・基本概念「自明性ってのを使ってみたくて…へへ