醜く、正直に

屋台『無限のチラシ裏』へようこそ。カラっと、スマートには到底かけそうもない投稿者のブログとなっております。お好きなものを、手に取ってご覧になってください。

ボンベとは何物か

先送り環境問題と同じ心理で 心の負債を解消せぬままに、毒親レースは止まらない

「大メンヘラ集落国 歪みが増える場合あれど、減りはしない国で(旧タイトル)」

 

今回思ったのは、ゴミを生み出し続けながら回り続ける資本主義の渦と同じで

 

トラウマや愛着未形成のまま育たざるを得ない〈日本のスパイラル環境〉を誰も指摘せずに、またメンヘラボーイ・ガールがまんまと無自覚に毒親に発展し、次のメンヘラ息子・娘をつくってる… ということ

 

見てみぬふり、困りごとを後世に投げつける。暴力的な刹那主義。自分勝手がスタンダードなクソ国民。

 

どうするか。

脱家庭文化が無理ならば、サードプレイス(家でも学校でもない解放区)で策を講じるしかないっしょ。

 

愛着障害は連鎖し、サードプレイスに心の救いを要求するのは恥…とするならば

 

恥をサラケ出す。

タブーもダークもひけらかせ。

高度な空気の読み合いよりも、どす黒さ込みのコミュニケーション方法を試してみたいんだ。

正直にいこう。傷つけあうよりも、底の見えない不安のほうが近代メンヘラ人には不利なのだ。

我ら恥を認め合う仲になろうじゃねぇか。利己的じゃないフリなんて、もう剥げてるよメッキ。

 

独自の整調文化を目的に掲げた、コミュニティの構築。

おもしろいだろう。生々しくて舌が痺れるはずさ。

ココロの幼児とともにあれ。

群れと常時接続すな、悪い子にな〜れ…。

それがこの国に必要な処方船だあ〜!

 

……………

 

ただただこの国の被生者たちは、数十年かけて、大人の仮面をかぶらされ続けた幼児として、より権力の弱い者に八つ当たりをして生き続けてきたんだろう。

 

 

 

やめたいよね〜…先延ばし。

 

 

クリエイティブしましょ!ヤりましょ!

ネオ宗教、建てちゃいましょ!

 

大人の儀式的コミュニケーションで、ビバ、いにしぇ〜しょん!

いい子をやめろ!恥まみれこそ人間的美!クセェ大人のほうが信頼でしよ?!

キャピタルハラスメント 労働者に向けられる資本的な価値視線

 

「キャピタルハラスメント」というのを造語してみました

(既出かどうかは、確認してません…)

 

ーーー

【序文】

おじさん二人が語っていたそうです

「部下の女性に「髪切ったの?」って言うのも、今の時代はセクハラになるんだって、難しくて仕方ないよ〜」と。

……

まあ、会社に勤務する従業員との関係を、友達と似たようなものだ。と考えているうちは、気付けない違いなんだろうなと、そのエピソードを聞いて思いました。従業員の女性はただ金稼ぐために来てるだけで、他の従業員と親密になるためにここに来ているわけではないでしょう。

【気分を台無しにするハラスメント】

その上で考えてみました。

そのおじさんらの行為の、ハラスメント性をおじさんらに伝えるためにはどういう例えをしたら伝わるのかなーと。

そうすると、ひとつのイメージが湧きました。

それは例えば、自転車趣味の会の飲み会。

メンバーの若い男性。彼に執拗に勧誘話を持ちかける、節操のないおじさん。

「きみ、うちで働かない?」「きみのその自転車への態度、労働に向けたら輝くと思うなぁ…」「もっとお金稼ぎたいでしょ?」と話しかけてくる厄介なやつに構われて、彼はどっと疲れました。ただ自転車への趣向心を分かち合える仲間が欲しかったから来ただけなのに、台無し。

 

【まずはセクハラを掘り下げてみる】

セクシャルハラスメントが、生殖的な視線なのだとすれば

○男の生殖指向は女性の「数」 だが 女の生殖指向は男性の「質」

(負の性欲≒排除に向かう性欲 の概論note(Prof.Nemuro氏)より引用)

それは子宮という生殖拠点を持っているのがあくまで女性の側だからで、誰と性的接触を持つかということが自分に返ってくる度合いが高い性別が女性の側だからであって……

…なので、誰彼かまわず男と性的接触を許容していては、質は担保できない。それ故に常に視線をカットする姿勢を続けて、良株を迎えられるようにすることが必要だと言える…かも?)

 

【労働者(男性サイド)への視線】

そして、ここからが本題

生殖視点を多分に男性から向けられ、それをカットしていくのが女性の苦労であり、安泰な条件だが

 

逆に男性は労働者としての価値を求められる存在みたいなところがあるので、それも当然苦労である

いいお嫁さんになれるかどうかというジェンダー的尺度と対になっているのは、(過去の歴史はさておき、資本主義旋風吹き荒れる僕らの世代なんかは特に)いい働き手になれるか、家計の足しをより多く稼げるか、企業にメリットをもたらせるか…という尺度で存在を見定められる。

 

【家庭を持つ人と、3つの人格】

「良妻賢母」は良妻と賢母の合成である 実は姑との戦いもあるので「良い嫁」も入るはず(noyorin_0224氏の雑引用)

 

整理すると

①対パートナー ②対子・教育 ③対職業生活

となる

 

女性がそれで、逆の男版があるとするなら

良夫賢父高給…なのかな? 

 

ただし、限りなく父の要素は薄いだろう

【養育者をこえて、親に求める資質(個人の感想😋)】

父としての役割像がまだ生きているならいいんだけど、多分求める人は少ないし、良い父に憧れる人も少ない気がする。学校でもそんな話より、テストで高得点取れ、頭に知識叩き込め、高学歴になって高収入の企業で…って狂ったように言い続けるだけだから目につかないよね。「家庭の中で男が何をすべきか」 なんて。

 

生き方で魅せる、子どもの話を遮らずに聞く

それさえできてればまあ良さそうなんだけどね。

どっちも難しいよね。

生き方なんて、人間の本質的課題過ぎて、あとから小手先で変えられるものでもないし、幼少期からの家庭での育ち方、教育課程での蓄積がもろにでるよね。当然逆も然りで、母も夫の奴隷になるようじゃあ良い方の参考にはできないよね。

経済的依存はしても、自我は自律の風格を身につけてほしいよね、女性だろうが男性だろうが。

 

〜〜〜〜〜

【学校とキャピタルハラスメント(人材主義教育)】

労働価値的な見方だけで人を捉えようとする態度も、同じくハラスメントであってもおかしくない。

 

現公教育はほとんどキャピタルハラスメントを地盤に敷いて構築されている。

だから

「セクハラは好意の表れなんだから素直に受け取っておきなよ」 なんていうキショ文化への辟易と同様に、

「働いて稼げたほうが幸せなんだから素直に学校に行っておきなよ」 という文化に辟易して人生に萎える子どもたち(我ら文化的不登校)の構図があり

それは未だにアンチキャピタリズムの風が吹かない限り不登校現象は拡大し続ける。

不登校や無気力が病気なんだったら仕方ないし、母親の教育の失敗なら仕方ないけど、

ホントに資本的価値の為に意気揚々と、あるいは黙々と堅実に妥協して

学校文化という魔窟で、キャピタル目線を浴び続けながら自己実現を夢見るのが、望ましい人間の在り方だと思うなら、何も言うまい。

 

まだ信じたいか(信じられるか)?

学校という入場施設が「人間の幸せのために工夫され続けてきた歴史によって維持されてきた仕組みだ」と。

 

ーーー

引用 「負の性欲」・フェミニズムネオリベラリズム(2019.12.01)

https://note.com/prof_nemuro/n/n7904b1fd0c62

学園祭 サークルコミュニティ 魂の握手

 

大学祭の季節ももう終わりに近いですね。

COVID封鎖文化も後退してきてようやく2023年。

視野を広げて、自分の通おうとしてた大学ではない大学の学園祭に出向いてみようという気が出てきました。

心の雪解けですね。

大学生活にはご縁がなかったけど、もし、通っていたなら、どんな学園生活が待っていたのか、どんな人と生活することになっていたのか…。そういう妄想的観点で、大学という個々の島の住民を観察していこう!という気概であります。

 

ーーー

 

サークル文化に触れる機会はこれまでなかった。

なので、ネットで調べて「あぁ、そういう文化があるのね」と知った大学破滅組の無職ボーイな私。

新入生歓迎の予定が4.5月に…との記載を見て「ほんとに歓迎されていることが心の奥底に響くほどの"何かのメッセージ"を、既存の所属者たちは、ほぼ初対面の同年代に伝えることができるのだろうか」と疑わしくなった。

何によって繋がっているのか。社会とのつながりをとことんまで感じることができずに、群れに背を向けた過去を持つ私なんかは、そこんところにやけに慎重な眼差しをもつ。仮面の脱ぎ方を忘れるような学校監禁生活に慣れすぎた彼らは、どこまで"本当"の価値を人生に見出し、他者に共有できるのだろう。横滑りし続ける華やかさを、大学生というモラトリアムに許された唯一の楽しみだとするのなら、そんなのはお断りだ。それを後に振り返って走馬灯の1ページにするのなんてなおさらゴメンだねッ!(˘ω ˘ *ミ,,)…!

 

暖かくて、いかつくて、骨太で、しなやか。そんな人間性に身を委ねながら育つことが、人生で何より贅沢なことだと思う。

 

〜〜〜〜

(ここからは、ぶつくさと文を散らかしただけの形式です。)

 

【生きることを好きになって欲しい 子迎歓迎会で暫定養育者に何を語れるか】

既に生まれてしまっていくらか経った女や男たち…

生きてるのが楽しいから子どもを産んだんじゃなくて

生きてても満たされない感情を、結婚、妊娠、出産という儀式が満たしてくれるはずだという妄想で産む決断をしているのでは?

 

21.5世紀まで来たときに、僕らの文化はどこに向かえてると思う。

暇で憂鬱でつまんねぇ奴らに任せるくらいなら、現実を妄想で組み替える遊びしとけ。

俺と一緒に遊ぼうや。

「人マニア(vo.重音テト) - 原口沙輔」という新しい曲にハマっているのでした。

ゆるふわ被統治国家、ぢゃぱんの末裔による詩の、演説

俺があの当時、ギリ入学まではこぎ着けた大学は、友人の話を聞く限り、「空」であったことを、今になって知る。

限りなく、熱量のある人がいない。空っぽの思想教室(対資本主義ゼミ)。寄り付く人はまばら。ごく数人以外は皆、足元を見ずに踊りに興じている。

がらんどうになっていたよ、父さん。幻想は消えてしまって、グロテスクな結果が、幕を下ろしてしまったよ。これが僕らの世代のシゴトだって言うんだね、これが幼稚園児の頃は見えなかった、ぢゃぱにーずの想像可能範囲の顛末だったんだね。見え透いた歴史だったんだね。これが地球人が生み出した大きな争いの後の約束事の成果なんだね。

 

 この僕の苦しみを含めて

 

2023年11月21日個人的記念投稿

ひきこもり4年目 自然にフェードアウトした、レール 

パラレルで大学生をやれていた場合、期間的にモラトリアムの終点近く 

友人曰く「大学も、思うようなところではなかった」

ピースが1つ埋まった日、教育迷子の困窮の暮れ

崩壊家庭の園の中、心は萎縮の一途をたどる

父親に出せる言葉がない、彼と穏便に話せる道が真っ黒に塗りつぶされているみたい

頭にエンタメを詰め込み続ける解決策は、自我の痙攣をメッセージとして返した もう日々は長くない

このままじゃあ、もたないぞ

だから聞かなきゃだめだったんだ、彼に

多かれ早かれ

「大学生活どうですか?」

聞くと彼は二度留年していると答えた

家庭の経済事情から、給付金制度を利用していた彼は、用心しないと契約を切られるという事情があるはずだった

そこまで追われているのにも関わらず、二度留年している…上手く社会と付き合っていけてる実情だとは思えなかった

そのとき彼は、少人数のゼミのためのレジュメ制作課題に追われていた

手伝ってみることにした

カルア兄貴にも勧められていた、アンチ資本主義の重鎮、白井聡のゼミ課題だったから。

本の要約とのことだった。

資本主義は、人口増加を食い止め続ける貧困問題の助長が、必然的に組み込まれたプログラムだ。という立場をとる本だった。

……

ここに戻ってこないと始まらない

世間でいう高校生の頃、毎週ゼミに明け暮れていた日々のことを思い出す

「おかえり」

「ただいま」

長く降り積もった雪が、ごそっと動いた音がした

社会の仕組みを知らんぷりして生きることを、運命は許してくれないみたいだ

寂しい夜が十分に積み重なって、見えない炎を育んだ

僕らは企む たとえ大衆交差点で無視され続けても

 

忘れ続けた尊厳を取り戻せ

【ドキュ感想】なぜ、こうしてここに生まれたのかを、親が伝えるケースもあり得たんだ 存在の物語は人生の土台

 

【不自然な形成法でしか可能でなかった新家族の親2人は、より本質に迫っていた】

【ゲイ夫夫と子どもたちの家庭を取り上げたスイス産ドキュメンタリーを見た 自らの家庭では見つからない"本質"があった】

 

同性愛者たちのカップル・結婚・子恵まれは簡単なことではない。時代の変化とともに世相が動いてきたことによって、このドキュメンタリーのような家族形成が可能となってきたのだろう。男性の一方はしきりに「自分が若い頃は考えもしなかったことだ。ゲイの自分が子どもを育てることができるなんて」と語っていた。

それに比べれば、異性愛者の夫婦形成はある意味簡単なことだ。…しかし、彼らが追求し続けていたように見える、子どもへのメッセージ。いくつもの段階を経てようやく生まれることにこぎつけたこと。それが大多数とは違う出生のプロセスだったとしても「君たちは、僕たちから愛されて生まれてきたんだよ(そして卵子提供者・代理母の協力があって君たちの生命はつくられたんだよ)」ということ。

 

僕らはそんなメッセージを受けて育っただろうか。いや、おそらく早々にこの夫婦は破綻していたんだ。そのことによって精神貧困者の青年が、世に放たれることになったのだ。実際は世に逃れることもできずに自室の布団の中で暖を取っていることが精一杯の未熟児になっているようだが。

 

そんなことを感じました。俯瞰してみるのが大事ですね、誰も教えてくれませんから。この家族の立ち位置なんて。

https://www.nhk.jp/p/docland/ts/KZGVPVRXZN/episode/te/J6GG12XWP6/

「パパ&ダダ ふたりのジョンの子育て日記」
初回放送日: 2023年2月3日

欧米では制度化され受け入れられつつある同性カップルの結婚。彼らが子供を持つ選択をしたとき、一体何が待ち受けているのか。家族とは何かをノーナレで問いかける。 同性婚をしたベトナム系でダンサーのジョンとイタリア系大家族出身のジョン。卵子提供者と代理母という2人の女性の力を借りて子供を授かった彼らは、息子たちに「パパ」「ダダ」と呼ばれている。彼らの悩みは将来「なぜお母さんがいないの」と聞かれた時、どう答えるか。番組では複雑な状況を絵本のようなアニメーションで表現。家族とは何かをノーナレで問いかける。 原題:papa & dada(スイス 2021年)

蓄積困難性・人格の幼稚さ・被養者意識→おらァ駄目人間だァ…

私を解説していきます

蓄積困難性

 私に付随する、「2e(飛び抜けた"凸"あれど、強烈に"凹"もありますぜ)特性」の部分と言える

 自分の成長を目指して、努力する。目標を掲げ、こなすべきことを羅列・構築し、毎日の時間の中でどのように進行するか管理する行為(=俗に言うカリキュラム? マネジメント?)みたいなのを自分でするのが極端に苦手。

 そもそもの話をするなら

1, 自分が何がしたいか(目的・意欲)

2, 何ができるのか(自分の強み・弱みの自己観察、比較調査)

3, 社会に住む人々に、どのような需要が存在しているのか

こういうことを(特に自分の内面の欲求を)捉えるのがマジで苦手なんだと思う。だから人にやらされてばっかりでブーブー言いたくなるし、すぐやる気なくなるし、人のせいにしたり、不備や欠陥を突きたくなってしまう。意識の暗部に光をさすのは対話によってでしかなくて、その暗部は定期的に数時間話してようやく掘り起こせる大きさ?

 家でも独学できてる人はいっぱいいるはずなんだけどもね〜

 

人格の幼稚さ

 なんかそんな気がする

 愛着障害的な気質に拠るとも思える。他人に対して、日常のささいな応対などが、みんなと違うんじゃないか、という気がする(??)

被養者意識

無職なだけじゃないんだよね

 食事・洗濯・掃除…なんのとっかかりもなく母にしてもらっている生活が、変わらずそこにある。あり続ける。自分でやるのには、肌の調子が一定以上必要なのだが、なかなか習慣付いてこなかった過去がある。これにより、罪悪感が生まれる。

 生活の基盤を他人の手間をもって整備しておいてもらいながら、しかし、満足のいく体験にみたないチンケなコンテンツ消費生活にしか時間の使い方を見いだせてない自分に腹が立つ。申し訳なく、悔しく、悲しい。いつ抜け出せるのか。はぁ…。

 

……………

とにかくこういう難が備わってる僕であります

走り書きです ぴゅー

久々に投稿

物語を構築できるスキルを獲得していきたい ってのが最近も頭にあるけど。

 

なぜか私の思考のクセとして「こういうのが面白いよねっていう面白さのフレームを、誰か提供してくれたら書きますよ」みたいな、他人に需要の発掘を委ねるようなところがあるんです。

でもそれは自分でも集めて分析して、持ちネタ・自分の秘伝の味として養っていけるはずなんですが、そういう実感がなく育ってきたもんで。

 

とにかく、スケジュールを組んで自分の学習計画を練ろう!