地域のお偉い役職についてるおじさん(わりかし物わかりがいい)に、言われたい。
ナメられちゃあ困るぜ。
アイツら(議会のイスの方々)にできて俺たちにできないってこたぁねえよな?
やってやろうぜ、自分の心に意識を傾けて、その延長で人と話して、そんで話し合いを重ねながらみんなでやりたいことを導き出して、そしてもっと大きなところで指示を得られるか試してみる。
ふむ…よくよく考えれば漫画書くのも、議員になろうとするのも、根本だけ見てみれば、なかなか似たようなことをやってる訳なのねぇ…ん。
最近頭に降ってきてやまない言葉があるんだ
「自由から逃げるな」ってね。
僕らの時代はある種「なんでもできるけど、何にもできてない」って、感じがするよ。100年前とかと雑に比べて。
人はフレーム(行動枠ルーチンの線上)の中でしか行動できないから、選挙権が保証されていても使わない人も多い。
便利にはなったけど、物と人に囲まれて、思考が既存のものに苛まれて、とるべき形に変化する機能を失った気がする。
支配する(型にはめる)側にとっても便利になってしまったんだろうね。学校文化の改良(改悪)とかもね。
〇〇するってのはどういうことなのか、逐一どういうイメージから借りてきたのか。それでホントに〈楽しさ満開に限界まで近づいた〉思考フレームなのかを考えていきたい。
オモロを渇望せよ、さすれば道は開かれん。
暇は無味無臭の劇薬。誰にも必要とされないひきこもりはごく自然とウズウズしている。