醜く、正直に

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ボンベとは何物か

誘われた同窓会、どうしようか?

この記事は、届けることになる読者について考えを巡らせることができませんでした。

執筆者が途中で飽きて投げ出したので、文の同士の接続がバラバラです。

それでもいいなら、流し読みで読むことをオススメします。

 

客観性を捨てた痛いポエムの博覧会場へ

1名様ご案内。

 

 

………

お久しぶりです。
なんかあんまり皆さん話してくれないんで、俺なりに差します。
「このまま無難な感じの雰囲気の延長として、フツウな同窓会に参加したい」んですか?

 

ワタクシ爆発します。この機会を最後にモリメイトとしてはお別れとなるだろう思うので。

どうせ友だちとして楽しいことを、悲しいことを共有することをし続けられるなんて稀なケースなんだ。

特に僕なんかそうさ、でもみんな…数年後首つったりだなんてやめてくれよ。それでも骨は拾いたい。涙は出ずとも、確実に頭に刻まれる。わずかしか知らないかもしれないあなたが、死ぬことになった世界でぼくはまだ生きてる。そういう世界観に裏打ちされて生きるのも味わい深い。問い続けていると、ふと死者に出会えた気になれるかもしれない。

まだ未経験だけどね。

僕らは公的な慣習というものに翻弄され、多くの違和感をもち、未熟ながら時に分かち合い、ぶつけ合い過ごした。
僕から見れば、みんな何事もなかったかのように、心擦り切れる橋を渡って行ってしまったように感じていた。戻るために問うたのか?フォーラムのチラシが雨を惑う。不適応代表の腕章を掲げて。


不登校も闇の中だが、ひきこもりは更に闇とも言える。何が俺の歩みを縛る?心は何を恐れている?

自由人が避職にこだわった挙げ句、自責の念も混乱を極める。なぜこんなことになったんだ?問い続ける日々。夫婦の問題が嫌な音をたてる。二階の部屋にいてもぐっとりと酸味が滲む。それでも日に日に視野が広がったりもする。コントロールを手放して、恨みを遠くへやる。

それでも思うのは、結局人間どう在りたいかの美学を放棄した文化が流行り過ぎた問題なら、働いていようと、家に居ようと、同じ問題に苦しめられているのかもしれない。
そう、この問題は僕の家だけじゃない。誰もが見ぬふりをしているすべての問題は、人間が問いを見失ったからだ。他人に任せることが賢いという風土になったからだ。
喧嘩するのを怖がったからだ。
誰も深く交わろうとしない。人間なんて面倒なだけ。
消費に逃げては、愚痴を垂れる。
自分で動けない…!骨抜きにされたのは慣習のせい。答えは誰が決めるのか。人生は誰がつくってるのか。


あの思春期に植えられた種は、大人になって、自分でコントロールできることが増えて、その後どうなるだろう。苦痛が餌となり、予想もつかないところで芽吹くことになるか、抑圧に抑圧を重ね、ぶっ潰れるか、人をぶっ潰すか。
僕は知りたい。僕以外の「学びiの森」の先にみんなは人間のなにを見たのか。鬼が出るか蛇が出るか。

 

そんで結局何しよう。
安心できる話し合いがいいだろうね。思わぬ出会いに期待してる僕は、みんなと関わって、少しでも広い視野で日本社会を生きたい。それが未だ99%の時間を自宅で過ごすひきこもりのひよっこだったとしてもね。

いつの時代もひきこもりから自分の人生の逆転が始まる人がいたんだ。それは意図せず時代の病を汲み取って、はじめのさざなみを生むようなことがある。
そう信じているから生きていける。ま、今日死んだっていい感は心掛けてるけどね。

 

◆(入れそびれた)

加えて、社会の仕組みのボロ具合が剥き出しになっているのわ目撃した世代。国家の先導イベントを嫌というほど浴びることになった世代。


特別なことじゃない日々のことがすべて問いかける。暗黙に葬られてきた違和感は日々に苦しみを生むだろう。

それでも問うことの苦しみが、自分を持つことの身が裂けるような苦しみが、よりいっそう人生を濃くしてくれる。安心して苦しみを預け会える友が居るといいな。ぼくにも、あなたにも。

 

P.S よかったら話聞くよ、飽きるまでとことん付き合うよ😎

ひきこもりが助けになるやもしれん可能性を僕に教えて♡