成長ゥ 成長ゥ 成長ォ…!新しい世界の見え方を試したい!
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年齢が階級のように建築物でアイデンティティで分断されて久しいニホンですわ
再度人間のあり方を見つめ直させてくれる未完成で柔軟な他者の存在
=子ども(幼児期・思春期?) の人生を間借りして、権力を挟み込んでは、手間暇を注ぎ込んでは…
どう生きたいのか、どう生きてほしいのか、何が人間の人格をつくるのか…
そういう活動を、ここでしか得られない特殊な栄養を味わいたい。
その限られたチャンスを最大限楽しむためには、よりよい協力相手を見繕いたいと思うのは当然の道理。パートナー間に歪みが、あっては子育ての特有の旨味がなく、苦味…いや、渋みしかない体験にしかならねぇ。
どう生きるのかを考えたくなってきたでしょ!
魚取りはもう十分満喫しましたよね!(してないなら今から飽き足りるまで毎日川や山に繰り出せい…!俺は正直エアプです!)
あえてもう一度新しいビジョンを組み立てよう。
生きさせられたままじゃあ、まだまだ見えてないことが多すぎる。感じきれてないモヤモヤが晴れやしない。正面切って渡り合おうや、自分の内臓と子どもの暴れをすり合わせるヒヤヒヤ汗だらだらを肌身に感じながら、「ああここに人間の道脈があるわけなんだな、ずっとあった訳なんだな」と、ミルクをこぼした子どもを見る私の目にはその感覚がオーバーラップしている。
恥を晒せ、馬鹿をしてみせ。「大人」なんてもののふりをするな。テメェが出来上がって満足なら親になることは切り捨てて言うと支配欲だ。学ぶことを捨てたやつが親になんかなってくれるな!
心配しなくても、じっくりと観察されているよ、目の前の子に。子は親の鏡だ。子は「親の言うよう」な人になるわけではない、「親のよう」な人になる。
自分だけではどうにも力不足なら、どんな手を使ってでも他人の風を誘い込んで成せばいい。だいたい暇なんだよ、戦争してるわけでもないんだから(?)。
惰性で労働に全力を渡すな。モーレツさは地域に還元してくれ。
自分(が親や大衆教義から与えられた)の生き方を見つめ直すために(自分でこさえなくてもいいから)子どもの生き力を借りさせてもらってトコトンまで学べぇい。
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これを書いてるおれは全く何様なんだ。
ほら、小学生に叱られるとこに居ないから、喧嘩しないからこんなのになるんだヨォ〜よ!バカバカバク爆発どちゅーん!