醜く、正直に

屋台『無限のチラシ裏』へようこそ。カラっと、スマートには到底かけそうもない投稿者のブログとなっております。お好きなものを、手に取ってご覧になってください。

ボンベとは何物か

近所の幼児の泣き声がうるさいので、児聴師(子どもアドボケイト)にならせろ!(泣)

心が、心が痛むんだわ、

2,30泣いてる人間を無視できないよ"ぉ"

 

他人の家庭(という最小単位の宗教法人)に介入する勇気はありますか?

 

また新しい問の扉を開いたみたいだ。

エスチョンパッション!

………

タイムシート

〈梅雨期には珍しい涼しい風の日〉

①18時。起きて3時間目。自室の窓から幼児期の男の子の泣き声が聞こえる

HSP(感情流入) とメサイアコンプレックスと正義感と取材型知的好奇心の発作により、様子を窺うため外出

③かといって何が出来るでもなし、そんで泣き声も落ち着いてきたご様子なので、ちょっくら気持ちと向き合うためにも散歩へ

④3時間後、家に帰ってきたら、再度あの隣家から鳴き声が聞こえるではないか、母も辛いだろうな、と勝手に同情心つのらせる

⑤しょうがないので(?)家に帰って「子ども 泣きやまない」とかそういうキーワードでの検索を初めて試みる

自閉症傾向だったりすると特に?、当人のパニックに周りの大人が応対したところでなんなら感情の暴走が止まらないから、あえて距離を時間を置いて待ってみるという選択肢も取られがち ということにモヤついたりする

⑦母が外出から帰ってきたので、このモヤつきを話を聞いてもらうことで解消しようとする。

…………

⑧母君(ははぎみ)と話をしたが、価値観が遠いことをいたく感じてしまう結果となった。

(⑨タイトルと数行だけ書いておいたブログの記事づくりに本腰を入れる:am2:00)

 

夜の住宅街を歩く。蒸し暑い夜に光がこぼれた窓際から覗き見る他人の生活感。私の知らない誰かにとっての住処。

誰かの安心を担い、誰かのトラウマが積もる場所。"マイホーム"。

 

そんなことを思いながら歩き始めて気づけば3時間。祖母の家の使わせてもらっている部屋の窓から子どもの猛烈な泣き声が聞こえてから、気が気じゃなくて。隣家の様子を、事情少しでも伺いたくて、いそぎ灰色のパーカーを身に着け、階段をドタドタ降りてドアを開けて外に出て少し観察し落ちついたのを確認する。

それからどうせなら鬱対策の運動がてら、と黄昏時。青とピンクが混じり合い、茶畑のような雲が空を覆う異界感漂う住宅街。惚れ惚れとしながら、居心地のいい手軽なインドア生活では手の届かない、他人の生活感に奇妙な興奮を覚えていた。

そういや前にも こうやって歩いていたことがあった。あのときも、限られた明かりのついた窓から、その家ごとの照明の形を見るにとどまるしかない視野の狭さに窮屈さを覚えながらも、オフラインではなく、目の前に明かりをつけて生活している光景を直に感じられることに感動があったんだっけ。今回は少し違って、テーマは苦しさと、人生の目的感。人がこんなにぎゅうぎゅうに集まって暮らしているようだが、心は逆に限界まで離れていたりはしないだろうかと。家を築いて何になるんだ、と。彼らの交流度合いなぞ、知らないながらそんなこと達が気になった。

 

(周辺市民との交流に関して)※ちなみに私の実家での現在の交流は、母のママ友の継続者のみとなっております。父も県外の大学に行ったりしてるので、交流は一回途切れたまま、結婚した後に農家の集まりで年上と会ったりする程度と前に答えていました。そして私に関してですが、当然地元の中学校に進学しなかったので、、地元の友だちとは縁が途切れてます。ていうかそもそも家が近いからという理由で家に遊びに行ったりした記憶はないですね、僕の小学生低学年の思い出には。うん、ありませんな。学校の友達とでさえ、遊ぶのが(そのために帰ってすぐに宿題に取り掛かるのが)億劫で、家で絵を書いたりアニメを見たり?して過ごしてたはずです。

 

ほんで。随分歩き回った。隣家の他にも子どもと母親の声が聞こえる家もあった。食事中だったり、塾から帰ってきたり。そして帰路につく、隣家が目に止まる。聞こえる、まただ"あの子"の泣き声だ。声帯が擦れ合わされている、必死の叫び、胸が張り裂けそう。母親も家の中で僕と同じ感情をしているんだろうか。母親のどなり声は聞こえない、彼の声以外は静かなもんだ。日はとうに落ち、白色電灯が風景として鎮座している時刻。この住宅街の道幅は広い。

 

彼が産まれて何年目なのだろう。多分初子(という情報)だったはずだから、母親は癇癪を起こす幼児と対面するのは初めての経験だったりするんじゃなかろうか。セックスをして、妊娠が分かって、子どもと歩む生活に想像力を馳せ、痛みを伴って医療従事者に囲まれて出産を経、ベッドで抱きかかえ…、いや、誰しもここに記した経験をするかどうかなんて明言する必要はないのだが。

まあともかく、そんなこんなでドタバタが続き、息つく暇もないまま、扱いきれない現実に翻弄される毎日に、否応なく流れ着く。それがこの国の女性が、"幸せを願って"パートナーと出会い、親睦を深め、必要もないのに子どもをつくる選択に踏みきった先に蔓延する未来だ(ろう)。

こんな生活(?)がしたかったから、子供を産んだのか?周りの人は実態を知らせてくれたか?こんな責任を荷重を一人で(?)負いたかったのか?あなたの両親も保育師も教師も教授も友だちもそんな、そんな社会を望んだのか?

 

うーむ、、、

 

母君いわく、子供は泣くのが仕事なんだって。苦しいから泣いてるとも限らない、親を呼んでるだけかもしれないし、ただ眠たいってだけかもしれないんだって。僕は幼児期の人間を観察する機会はほとほと得られなかったから知らなかったよ。でも本当にそれだけなのかな、母君の言ってることには違和感が残るよ。

 

子どもは泣くのが仕事なら、大人は泣かずに言われた通りするのが仕事ですか?

………

 

みんなはどう思う?みんなはどうしたい?

僕はなぜここにぶつけている?はてなブログに誰か見に来るか?でも怖いじゃん、攻撃をもろに受けてしまうかもしれない。だからこんな閉じられた電子領域で風呂敷を広げているのさ。まだ僕にはこの記事をnoteに投稿する気にはなれない。

 

それとは別に思いを馳せてくれ、通りすがりの電子の精霊さん(?)。

◆もしかすると、あなたの住む家の、その前を横切る道にも、彼が足を運んでいるかもしれません。

 

はえー、こんなところにも "やはり"と言うべきか、当然人が生きているんだなぁ。選べない親と同じ屋根の下

どんな暮らしをして、どんな心を・人格を 育んでいるんだろう…」と思いを馳せながら歩いている《一匹のひ弱で奇っ怪な変人》が。

 

END